人生で何十回、いや、百回以上はあるだろう。
私は昔から、異常なほど道を聞かれる。
イヤホンをしていても。
急いで歩いていても。
時には、自分自身が迷っている時でさえ。
なぜ、よりによって私なのか。
今回は、長年抱えてきた「道を聞かれすぎる問題」について、本気で考察してみたい。
「すみません、〇〇へ行きたいのですが……」
その日、私はバス停の列の中にいました。
普段通りスーツを着て、髪型はソフトモヒカン風。
両耳にはイヤホンを装着。
客観的に見れば、決して「暇そう」でも「話しかけてほしそう」でもありません。
むしろ「自分の世界に入っているので構わないでくれ」というオーラを放っているビジネスマンそのものです。
前後には10人近くの人が並んでいました。
私は列の先頭でもなければ、最後尾でもない。
それなのに、やってきたおばあさんは、迷うことなく私の前で立ち止まり、声をかけてきたのです。
こんにちは、こっばです。
今日は、長年の謎である「道を聞かれすぎる体質」について、実体験をベースに徹底解剖してみたいと思います。
私の前に現れる「無理難題」な人々
私には不思議でならないことがあります。
それは、自分が目的地を探してスマホを片手にキョロキョロしている時でさえ、道を聞かれることです。
「いや、私も今、絶賛迷子中なんです!」
と心の中で叫びながらも、気がつけばGoogleマップを一緒に覗き込んで案内している自分がいます。
最近の「道案内ログ」を振り返ると、もはや私の人間力を試されているのではないかと思うことばかりです。
ある時は、アジア系の外国人の方から、東京の虎ノ門を歩いている時に声をかけられました。
「新宿。歩く。行きたい。」
虎ノ門から新宿。
歩けなくはないですが、5〜6キロはあり、普通に1時間以上はかかります。
スーツ姿の私に聞くには、あまりに距離感のバグがある質問でした。
その時はあいにく仕事の移動中で急いでいたこともあり、近くの交番を指さして、
「あちらで聞くのが一番確実ですよ」
とバトンタッチしました。
またある時は、バス停で、
「もしもし、あのー……」
背後からおばあさんの声。
私は思いました。
「あ、また来たな。どうせ道、聞かれるんだろうな」と。
案の定、複雑な構造のビルで行われるセミナー会場に行きたいとのこと。
たまたま地下で繋がっている場所だったので、近くにいた制服姿の警備員さんを紹介し、
「あの方に聞くとすぐにわかりますよ」
と繋ぎました。
なぜ、イヤホンをしていても「私」なのでしょうか。
驚愕のシンクロ:我が家は夫婦で「案内所」だった
この不思議な現象は、私一人に限ったことではありません。
仕事から帰り、家で妻に「今日も道を聞かれたよ」と話すと、妻が驚くべきことを口にします。
「実は私も、今日聞かれたんだよね。
しかも私、その時すごく早歩きだったんだよ?」
妻の周りには、普通の速度で歩いている人が何人もいたそうです。
それなのに、あえて「急いでいるオーラ」全開の妻を呼び止めてまで道を聞く人がいる。
こうした会話が、我が家ではもう10回以上繰り返されています。
私たちはもはや、磁石のように「困っている人」を引き寄せてしまう夫婦なのかもしれません。
「徳を積む」ことと、今の自分
正直に言います。
聞かれたら、私は可能な限り親切に答えます。
外国の方にはジェスチャーを交え、時には自分が行きたい方向と逆であっても、時間に余裕さえあれば、10分圏内なら現地まで一緒に行ってあげることもあります。
世間ではこれを「徳を積む」と言うのかもしれません。
でも、ふと思うのです。
「徳を積んでいるはずなのに、なぜ私の日常は今、こんなに停滞しているのだろう?」と。
実は今、私は人生という長い道のりの中で、少しだけ足を止め、踊り場に立ち尽くしているような時期です。
仕事も決して順風満帆とは言えず、トラブルや悩みの真っ只中にいます。
そんな時、見返りを求めてしまう自分が顔を出します。
「こんなに人に優しくしているのに、御礼を言われる以外、何もいいことが起きないじゃないか」と。
「運のろうそく」と、この世の不条理
「人は平等だ」なんて言われますが、本当にそうでしょうか。
生まれた瞬間から戦火の中にいる子もいれば、有り余る富の中に生まれる子もいる。
時間は確かに1日24時間で平等ですが、それ以外はあまりに不条理です。
古典落語に「死神」という演目があります。
人の寿命や運が「ろうそく」に例えられるお話です。
もし運が一気に使い果たすものだとしたら、世の中の成功者たち、例えば80歳を超えても権力を握り続ける政治家たちは、一体どれだけの灯を前借りしているのでしょうか。
彼らのような存在を目の当たりにすると、真面目に道案内をして「徳」をコツコツ貯めている自分が、なんだかとても小さな存在に思えてきます。
「私のろうそくは、あとどれくらい残っているんだろう。
こんなに人に親切にして、何か意味があるんだろうか」
それでも、私は立ち止まる
結論は出せません。
結局は「人それぞれ」なのかもしれません。
ただ、一つだけ確かなことがあります。
新宿への行き方を教えた時の、あの1分間。
おばあさんのセミナー会場を一緒に探した、あの数分間。
その瞬間だけは、私の社会的地位も、仕事の悩みも、生まれ持った運の量も関係ありません。
ただの「困っている人」と「助ける人」という、純粋で、もっとも平等な人間関係がそこにあります。
思い返してみると、私が道を聞かれる時って、決まって「誰に聞けばいいか分からない」という顔をした人ばかりだった気がします。
きっと人は、“正しそうな人”より、“断らなさそうな人”を無意識に選んでいるのかもしれません。
私が道を聞かれるのは、私のろうそくが他人から見て「安心できる、優しい光」を放っているからだと信じたい。
派手な成功者の灯火ではないけれど、誰かの足元を一瞬だけ照らす、そんな灯りでありたいのです。
こちらはnoteでも発信しています。
会社での人間観察や日々の気付き、そして大好きな文鳥のことなども綴っています。
もしまたどこかで、イヤホンをした私を見かけたら。
その時は遠慮なく声をかけてください。
多分また、一緒にGoogleマップを覗き込んでいると思います。
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